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世界を旅する文学 第二回 朝鮮民主主義人民共和国 パンジ 『告発』

知られざる北朝鮮文学 

 第二回の舞台は朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と呼称)である。北朝鮮に対する日本人の一般的な印象は、著しく悪いだろう。拉致問題、核ミサイル開発問題などを対外的に抱え、そのうえ内部では抑圧的な政治体制を敷いてるのだから。特に現在(2018年4月)は、度重なるミサイル発射のニュースが記憶に新しい。

 では北朝鮮文学に対する印象はどうだろうか。そもそも、北朝鮮の文学など少しも知らないという方が多いのではないだろうか。私もこの記事を書く前はその点について全く無知であった。しかし、あの国にも文学が、それもプロパガンダ以外の文学が存在しているのである。

『告発』が世に出るまで

 それが本書『告発』*1である。しかし、タイトルから分かるようにこの小説は北朝鮮の体制を厳しく批判したものである。当然北朝鮮国内での出版は望めない。そのため、出版の経緯は特殊なものである。なんと作者パンジ*2は脱北する親戚にこの本の元となった原稿を預けたのである。このような経緯を経て、『告発』は2014年に韓国で出版された。

『告発』の内容

 『告発』は七つの短編から構成されている。この記事では私が特に気に入った短編二つを取り上げる。 なお収録されている小説は80年代後半から90年代なかばのものであり、現在とは少し事情が異なる部分がある。

 『伏魔殿』の主役は夫、孫娘と共に列車に乗っていた老婆である。運悪く、彼らはそこで一号行事に遭遇する。一号行事とは、最高指導者の金日成が当地を移動することである。そのため、彼らを始めとする乗客たちは、乗換駅で足止めを食らった。その時間はなんと、32時間以上である。しかも駅は人で溢れ、食料も乏しい。

 そして老婆はこの駅から歩いていける弟の家を一人で訪ねることを決意する。老婆は妊娠した娘のために熊の肝を譲ってもらう約束を弟としていたのだ。また自分がいなくなれば、残された二人が食料の配給を多く受け取れるという考えもあった。

 駅を出た老婆は乗用車の隊列と遭遇する。これこそ、金日成の車列であった。彼は、列車だけでなく車も使っていたのである。そして、車の中へと半ば無理やり連れ込まれた老婆は彼と対面する。笑みを浮かべた金日成はどこへ行くのかと尋ね、老婆が答えると車で目的地まで送っていくと申し出た。恐縮した老婆は金と一緒の車で移動することは拒んだが、別の車に乗り移った。

 その数日後、老婆の夫は村の外の拡声器から意外な声を聞く。それはコメントを求める記者たちに、老婆が語ることを強要された金日成に対する感謝の言葉であった。

「……父なる首領様におかれましては、私をついに乗用車にまで乗せてくださり車を走らせてくださいました」*3

 しかし、そもそも金日成がいなければ老婆は何の苦労もなく移動ができていたはずである。まさしく、自分でつけた火を自分で消す、マッチポンプそのものである。そのうえ乗換駅では孫娘を始めとする多くの人々があまりの混雑のために怪我をしていた。

 この酷い現実が感動的な美談に作り変えられてしまったのだ。老婆が「残虐な魔術*4」と印象深い言葉で形容する金日成の魔力めいた権力ゆえに。

 『舞台』はその金日成の死去が背景にある作品だ。主要人物は二人の親子。保衛部員*5である父親は、息子の不届きで上司から叱責を受ける。金日成に捧げる花を取るため息子が谷に*6行った際、ある女性と手を繋いだのが不謹慎だというのだ。しかもその女性の父親は政治犯であった。

 憂鬱な気持ちになった父親は、ある時読んだ息子の陳述書を思い出す。その陳述書は軍人時代の息子が反省文として書いたものである。

 そこにはある日の演劇の訓練*7が描写されていた。上官は舞台自感、つまりリアリティがないと息子たちの芝居を批判し、追加で訓練を命じる。しばらくしてから、様子を見に来た上官は皆に大変だろう、腹は減っていないかと尋ねる。すると殆どのものは力強い口調で否定した。

 息子はこれを大変不思議に思った。上官がいない時は皆が不平不満を漏らしていたからだ。さらには何故か、父親が保衛部員である自分や、党の指導員である同僚だけが上官に対して不満を隠すことができなかった。

 この陳述書の内容も相まって、家に帰った父は息子を問い詰める。これに対する息子の反駁は圧巻である。長くなるが、引用しよう。

 

(前略)本当の生活とは自由なところにのみあるのです。抑圧、統制するところほど、演劇が多くなるのです。なんとひどいことでしょう。今、あの弔問所では、すでに三ヶ月も配給を貰えず飢えている人々が哀悼の涙を流しています。花を採ろうと歩き回って毒蛇に噛まれて死んだ幼児の母親が哀悼の涙を流しているのです。ね?庶民たちがこうして流す涙まで、流し方を知る名優の涙と同じにしたててしまうこの現実が恐ろしくないのかということです」*8

 

 この言葉を聞いた父親は激怒したが、ちょうどその時停電が起きた。そのため彼は、金日成の弔問所に慌てて行く。自動車のヘッドライトで明かりを照らすためである。

 そこでは金日成を批判したとして夫が政治犯収容所に入れられた女性までが涙を流していた。このありえない事態に背筋が寒くなり、遂には精神が錯乱した父親は自ら命を断つ。『舞台』という題名には北朝鮮という国家そのものが一つの舞台と化していることが表現されているだろう。

現実と非現実の融解

 本作ではこの二編のように非常に北朝鮮らしい、政治的な小説が収められている。その内容は一読して信じられないようなものであるが、同時に北朝鮮では起こってもおかしくはないと思わされるようなものなのだ。

 もっともあくまで本作は小説である。問題は実際にあったかどうかではなくて、リアリティ(本作の言葉を借りると自感)があるかどうかだろう。あるいは説得力がないか、どうかだろう。北朝鮮という異常な場所が舞台なために、異常な事態も非現実的と断じることができないのだ。

 仮に本作のような内容を日本の作家が書いても、それは完璧な作り事、虚構だと読者に分かってしまう。逆に言えば、『舞台』で描かれているように、北朝鮮そのものが作り事めいているということだ。あるいは現実と非現実の境がはっきりとしていない*9その国を描いた小説に対して、リアリティがないという批判は簡単ではない。

 作者パンジが意図しているかどうかは分からないが、本作はそんな特殊な状況をうまく利用しているように思える。皮肉を込めて言えば、これこそ社会主義リアリズムかもしれない。あるいは非現実的なものが現実的に描写されるという点では、マジックリアリズムと言えるかもしれない。

韓国との差異

 また、この連載で前回取り上げた姜英淑『ライティングクラブ』との落差を大きく感じた。簡単に紹介すれば、この作品では日本人が見ても違和感がないようなありふれた日常が描かれている。そこに政治性はあまり無いように思える。同じ文化圏でも、政治体制の違いで全く異なる文学作品ができあがってしまうのだ。

 政治的でない文学は、ある程度政治的自由がある人間にしか書けないということかもしれない。例えば、作者パンジは北朝鮮の朝鮮作家同盟に所属しているという。この組織の詳しい内実は知らないが、所属していないと作家活動ができない、あるいは不利益を受けるということは十分考えられる。

 前述したようにこの作品に収録されている作品は極めて政治的なものである。超抑圧的な政権のもとでは人々は政治のことを考えざるを得ないのだ。体制に協力するにせよ、しないにせよ。そして、そんな国にも文学は存在していた。

 次回は鴨緑江を渡って、中国を取り扱う。北朝鮮ほどではないにせよ、この国も文学と政治が深く関わっている。

参考文献

『告発~北朝鮮在住の作家が命がけで書いた金王朝の欺瞞と庶民の悲哀~』パンジ著 萩原遼 訳 太陽出版 2016年

*1:正式名が長いので、以下この略称を用いる。

*2:パンジとは朝鮮語蛍の光という意味だという。この作家の存在を報道した、韓国の月刊誌がつけた名前である。

*3:160ページ。

*4:162ページ。

*5:簡単に言えば、警察官

*6:献花のために市内の花壇が取り尽くされてしまったのだ。誇張表現のようにも思えるが、北朝鮮では実際に起こりそうなことでもある。

*7:軍人なのに何故演劇をするのかというと、要はプロパガンダのためである。

*8:192ページ。

*9:とはいえ、日本であれ、アメリカであれ、パプアニューギニアであれ人間社会に演劇、嘘、それも悪い意味での演劇、嘘は付き物だろう。北朝鮮の問題は、その演劇が多すぎるところにあるのかもしれない。