ソガイ

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『式の前日』感想

 ストーリーテラーというのは、こういうものを生み出すことのできるひとのことを言うのだろうな、と思ったものだった。

 このマンガがすごい!2013(オンナ編)の第2位にもランクインしたこの作品は、表題作の『式の前日』をはじめとした6編の短編からなっている。私が持っている単行本の帯によると、「胸のずっと奥のほうに沁みる、泣けるよみきり6篇」。

「泣ける」という触れ込みには散々だまされてきたせいか、そのように言われるとかえって最初か疑ってかかる悪癖があるのだが、この作品については、少なくとも私については間違いではなかった。とはいっても、実際に涙を流した、というのではない。「泣ける」という空気というか温度というか、そういったものを文字通りからだ全体で感じる。そんな読書体験だったように思う。(とは言ってみたものの、今回読み直して、本気で涙を流しそうになった。まだ涙もろくなるような歳ではないと思うのだが。)

 短編だから、ひとつひとつの話は当然短い。壮大な設定もない。なんだったら、どこにでもある日常の風景を描いている。ただ、それを少しだけずらしているところに、このひとのうまさがある。ストーリーテラーとは言葉面とは異なり、実のところプロットのうまさである。私のような人間が使うのもおこがましいというか、なんというか自分で鼻白んでしまうのであるが、黙説法の妙。ああ、語りの技法にもプロットの領分まで効果を及ぼすものがあるのだなあ、と感じた。

 

 いつもは正直ほとんど気にしないのだが、今回はネタバレに気をつけつつ、いくつかの作品を紹介していきたい。

 

 『式の前日』

 表題作であり、デビュー作。この16頁の短い作品は、「明日 結婚する」というモノローグに、縁側で横になっている男のコマで始まる。社会人3年目になるこの男を起こしに来る女。そのやりとりから、ふたりが気の置けない関係であることがわかる。ふたりの話題に上がるのは、ドレスや披露宴の席、題名からわかるように、翌日の結婚式についてことだった。結婚式の前日、という独特の感傷的な雰囲気を感じながら、しかし日常の生活の風景が淡々と描かれていく。ひとつ屋根の下にひとりの男とひとりの女。そして結婚式。こんなおあつらえ向きの風景には、しかしひとつ、小さなずれが潜んでいた。デビュー作とは思えない、非常に完成度の高い作品。

 

 『あずさ2号で再会』

 個人的に一番「くる」かもしれない作品。「おとうさんをまってる」。セミの鳴き声のなか、視点は集合住宅の外からだんだん中へと入り、畳のうえで仰向けになっている少女。「わたしにはふつうのおとうさんとおかあさんがいます」。ひとりで留守番をしている少女に母から電話がかかってくる。母はなにかとても心配している様子。そこに、ドアを開けてひとりの大柄の男が入ってくる。切れ長の目に、刈り上げの金髪。いかにもやんちゃそうなこの男は、どうやら「元旦那」つまり少女の父であるようだ。

「タバコ買ってくる」と言ってそのまま帰ってこなかった、というその男を、少女は慣れた様子で家に招き入れる。会わぬ間に大きくなり、できることもずっと増え、そして母のようになってきた娘の成長に驚きながら、ふたりは親子の触れあいなどもしながら、のんびりと時間を過ごす。

 

 『それから』

 拾われた猫の視点から語られる。本書中、最も短い作品。題名も相俟って、おそらく夏目漱石の『吾輩は猫である』が下敷きにあるのではないか、と思う。猫以外不在の部屋に、主である男の義兄からの留守電が鳴り響く。姉が救急車に運ばれている、という内容だった。仕事から帰ってきた男だが、疲れ切っている様子で、留守電に気付かない。知りたるのは名前もないこの猫のみ。いちおう知らせてはくれるのだが、当然男には猫の言葉が解せない。

 この『それから』という題名、なにも夏目漱石の同題名の作品にあやかっているだけではない。(いや、実際のところ漱石にちなんでいるのかは知らないが。)なにの「それから」なのか。

 

 ここでは触れなかった作品も、それぞれにそれぞれの叙情性があって、陳腐な表現になってしまうが、漫画としても当然だが、優れた短編小説のごとき味わいも秘めている。

 ひとつだけ補足すると、どんでん返しというものを期待すると肩すかしを食らったかのような印象を受けるかもしれない。というのも、(もちろんこれは眉唾もので聞いてもらえれば十分なのだが)Amazonのレビューで、そのようなきらいが見えたのだ。どうやら話題が先行してしまったようで、それこそミステリー小説のようなどんでん返しを期待していた読者が少なくないようなのだ。(経験則として、Amazonのレビューに限らず、ネットの声というものは、もちろんこのブログも含めて、あまり気にしすぎない方が良いと思う。もちろん、PCだったり車だったり高い買い物なら話は別だが、本は、専門書等を除けばそこまで高いものでもない。飲み会を一回我慢すれば、漫画なら5冊くらい買えるだろうし、それこそ古本屋の100円本なら30冊くらい買える。直感はけっこう大切だと思う。非合理だ、というひともいるだろうが、直感は、無意識下でおこなわれる帰納法演繹法の繰り返しの結果ではないか、と与太事を言っておく。閑話休題

 最初にも言ったけれども、これは「ずらし」の妙なのだ。

 

 当時、この作者は「買い」だ、と思っていたのに、それからいろいろ迷走やら忙殺やらしていて結局読めていなかったことに、いまさらながらに気付いた。実のところ、最近はあまり漫画を読めていないので、今度こそ、ほかの作品も読もうと思う。

 

(文責 宵野)