表紙と裏表紙
表紙に書いてあるようにソガイ第二号のテーマは「物語と労働」です。
紙版はB5版で80ページ、定価は500円です。
電子版もあります
目次と概要(クリックすると該当箇所の一部が読めます)
論考 次元を越えた「瓜二つ」―― 磯﨑憲一郎『赤の他人の瓜二つ』 宵野雪夏 2
『赤の他人の瓜二つ』を中心に磯崎憲一郎の文体の不気味さが検討されている。一例を上げれば、渡辺直己が言うところの移人称小説という概念にも磯崎の小説が当てはまらないことが本論考では指摘されている。
書評 『勝手に生きろ』書評 ブコウスキーは正論に対して虚構で対抗する 雲葉 零 24
チャールズ・ブコウスキーの小説『勝手に生きろ』ではしばしば労働への言及が見られる。ただし、主人公が目まぐるしく職場を変えるように、肯定的というより否定的な意味合いで。このことを足がかりに労働とブコウスキー、正論と虚構の関係が語られる。
マルクス「ゴータ綱領批判」の一説に出てくる富が湧き出る泉という比喩をモチーフに、労働せずに生活することが可能になった世界が描かれている。
書評 ロボットからのギフトの可能性について ~『プラスティック・メモリーズ』所感~ 宵野雪夏 47
そもそもロボットという言葉が強制労働、強制労働者を語源に持つようにロボットと労働は深く結びついている。このアニメのヒロインでありロボットの一種であるアイラもまた、人間に労働を背負わされていた。その上で、本評論は人間とロボットの労働にとどまらない関係性を考察している。
本論考では不労主義という概念が導入されている。不労主義とは簡単に言えば、短時間労働や労働の廃絶を主張する思想のことである。論考、エッセー、小説などの形で表された不労主義を比較検討し、不労主義が空想的にならざるを得ないことが語られている。
ソガイ第二号試し読み
また、以下ソガイの本文の試し読みを公開します。それぞれの文章につき、冒頭が対象となっています。また末尾に参考文献を全て公開していますのでご参考にしてください。
なお、縦書きが横書きになっている等、冊子との形式的な差異が一部あります。
次元を越えた「瓜二つ」――磯﨑憲一郎『赤の他人の瓜二つ』
宵野雪夏
語り手、移人称小説、不気味
小説作品において、もっとも仕事量が多い役割を担う者。それはきっと、語り手である。
たとえば芥川龍之介の短編作品には、作中人物が物語を語るものがいくつもある。しかし、実際にそれを休憩を挟まずに語り尽くすことは、ほとんど不可能に近い。短編作品であっても、それをすべて音読することは難しいのだ。ましてやそれが長編であれば。気の遠くなるような労苦が費やされることだろう。
同時に、小説は語り手なしでは成り立たない。読者は、語り手を通じて初めて、物語の世界に触れることができる。出来事があるだけでは、小説にはならない。小説を小説たらしめているものは、この仲介者たる語り手の存在である、と言ってしまってもいいかもしれない。それほどの功労者なのだ。
しかし、そんな語り手がどうにもあやふやで、だからこそかえって、妙な存在感を示している作品がある。磯﨑憲一郎『赤の他人の瓜二つ』の語り手、より正確に言えば、語り手だったはずの「私」は、ちょっと異様な存在である。
血の繋がっていない、赤の他人が瓜二つ。そんなのはどこにでもよくある話だ。しかしそう口にしてみたところで、それがじっさいに血の繋がりのないことを何ら保証するものでもない。――私が初めてあの男と会ったとき、そんな自問自答が思い浮かんだ。それほど男は私にそっくりだった、まるで記憶の中の自分の顔を見ているかのようだった。にもかかわらず、周囲の誰ひとりそれを指摘しようともしない、気づいてすらいないように見えることが、私の不安を煽るのだ。(五頁)
これより後の部分は、ご購入して御覧ください。
底本
磯﨑憲一郎『赤の他人の瓜二つ』講談社 二〇一四年一一月
参考文献(試し読み以外の部分も含む、以下他の文章も同様)
安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』岩波書店 二〇一五年一一月
石原千秋『読者はどこにいるのか――書物の中の私たち』河出ブックス 二〇〇九年一〇月
磯﨑憲一郎『肝心の子供/眼と太陽』河出書房新社 二〇一一年二月
『世紀の発見』河出書房新社 二〇一二年五月
『終の住処』新潮社 二〇一二年九月
『往古来今』文藝春秋 二〇一五年一〇月
『電車道』新潮社 二〇一七年一一月
『鳥獣戯画』講談社 二〇一七年一〇月
大岡昇平『現代小説作法』筑摩書房 二〇一四年八月
佐々木敦『小説家の饒舌 12のトーク・セッション』メディア総合研究所 二〇一一年七月
『新しい小説のために』講談社 二〇一七年一〇月
真銅正宏『偶然の日本文学 小説の面白さの復権』勉誠出版 二〇一四年九月
横光利一『愛の挨拶・馬車・純粋文学論』講談社 一九九三年九月
渡部直己『小説技術論』河出書房新社 二〇一五年六月
フォースター『小説とは何か』米田一彦訳 ダヴィッド社 一九六九年一月
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『勝手に生きろ』書評 ブコウスキーは正論に対して虚構で対抗する 雲葉 零
ブコウスキーと労働の奇妙なつながり
チャールズ・ブコウスキーと言われて、思いつくものはなんだろうか。作品名を別にすれば、酒や詩あたりではないだろうか*1時に酔いどれ詩人と称されるようにこのイメージは間違ったものではない。しかし、そんな破天荒なイメージがある彼の作品を労働という観点から見ても面白いのではないか。この書評はそんな一種の変化球である。
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参考文献一覧表
チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ』(2007) 河出書房新社 都甲幸治 訳
『死をポケットに入れて』(2002)河出書房新社 中川五郎 訳
『パルプ』(2016) 筑摩書房 柴田元幸 訳
桜庭一樹 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(2009) KADOKAWA
『富が無限に湧き出る泉』 雲葉 零
ある日、大都市郊外に忽然と現れた泉は様々な情報媒体の関心を引き起こした。平凡な更地に現れたそれの半径は人の背丈の数倍ほどもあった。僅かに緑色に濁った液体が泉の一面を覆っている。その液体に有害性がなかったことは不幸中の幸いとして捉えられた。それにしても、一体これはどういう現象なのか? 説明を求められた地質学者や役人たちは回答に窮した。というのも、これまでの観測記録に存在しない現象であったからだ。
とはいえ、多くの人々にとって、これは単なる意外な話題に過ぎなかった。数日が経つと、世間はあっという間にこのことを忘れ去った。
対照的に困っていたのはその土地の地主であった。この一件により、土地にとんでもないけちが付いてしまったからだ。また現状回復にかかる費用も馬鹿にならない。最も彼の富裕な財産からすれば、この損害はごく一部に過ぎなかったのであるが。
地主は泉の側にじっと座り込み、考えをめぐらした。忌々しい泉だ。温泉でも湧けば儲けになったのかもしれないが。あるいは油田でも湧けば。そんな馬鹿げた妄想をしながら、彼は泉の中を見つめていた。それにしても、一体この緑色の液体はなんなんだろうか?
そう思って彼は手を入れる。その瞬間である。突如として、黒い液体が湧き出てきたのだ。調査の結果、それは正真正銘の原油であるということが明らかになった。これこそ大騒動の始まりであった。
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ロボットからのギフトの可能性について~『プラスティック・メモリーズ』所感~
宵野雪夏
MAGES.所属のシナリオライター、林直孝によるオリジナルアニメ作品『プラスティック・メモリーズ』(以下『プラメモ』)は、「ギフティア」と呼ばれるアンドロイドが実用化した社会を舞台とした、近未来SF作品である。主人公、水柿ツカサは、親のコネで、ギフティアを製造、管理している大企業「SAI社」に入社させてもらう。しかし、彼が配属されたのは窓際部署である「第一ターミナルサービス課」だった。ここでの仕事は、定められた寿命である八万一九二〇時間(九年強)を迎える寸前のギフティアを所有者から回収すること。それは思い出を引き裂く、報われない仕事。
ここでの仕事は、人間とギフティアがコンビを組んでおこなうことになっている。ツカサがコンビを組むことになったのは、少女型のギフティアであるアイラ。三年間、現場からは離れてお茶くみ係のような役割を担っていたアイラに、ツカサはかつて出会っていた。エレベーターのなかで涙を流す彼女に、ツカサは一目惚れに近いような魅力を感じていた。さまざまな事件や出来事を通じ、距離を縮めていくふたり。しかし、このときアイラの寿命はもう幾何もなかった――。
この作品は、既存のジャンルに当てはめれば近未来SF作品であろう。科学技術が高度に発展し、ほとんど人間と区別のつかないアンドロイドが生活に浸透している世界、という設定は、これまでもよく描かれてきた世界観である。アンドロイドは、ロボットのひとつの形態、ということができるだろう。本論では、そして、人間とロボットの友情や恋愛、というテーマも、もはや現代の創作作品において普遍のテーマのひとつとなっている。事実、高度に発達したロボットのなかに、知性や感情らしきものを見いだすことは難しくない。極端な話ではあるが、Pepper(ペッパーくん)と「同棲」する女性もいるらしい。このテーマは、もはや空想のものではなくなっている。まさに「近未来」の世界のことであるのだ。
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働かないことを夢見た人間たち 雲葉零
働きたくない。あるいは労働時間が長すぎる。こんな言葉を日常生活で聞いたことは、誰しも一度や、二度ではないだろう。本論考を読んでいるあなた自身、そう考えているかもしれない。しかし、この主張というか愚癡は具体性を持った思想、理論に昇華されていないように思える。
さらには、思想、理論の名前すら共有されていない。これが他の思想だったらどうだろうか。例えば、生産手段を始めとする私有財産の共有化を謳う者たちには共産主義がある。政府の廃止を謳うものたちには、無政府主義がある。
何故、働かないことを謳う思想には名前がないのか。ひょっとしたら、働きたくないと考える者達は怠け者だから、理論を考えたり、運動を形成したりすることすら面倒だったのかもしれない。とはいえ、名前がない思想を語ることは困難である。そこで、本論考では便宜的に不労主義*2という名称を導入する。不労主義の中核的な主張は以下のようなものになる。
人間は働かないほうがいい。もし、働くにしても労働時間は必要最低限度に抑えられるべきである。より具体的には、現実の労働者たちの労働時間よりも格段に少ないべきである。と言ったところだろう。ボブ・ブラック『労働廃絶論』の冒頭文は、不労主義の核心を見事に表している。
人は皆、労働をやめるべきである。
労働こそが、この世のほとんどすべての不幸の源泉なのである。
この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。
苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない 。*3
このような不労主義を主張している、まとまった量の論考は少ない。おそらく、本論考で紹介するものだけで、日本語で読める文献のかなりの部分を占めているだろう。もちろん、私の調査が足りなかったという可能性はある。また、和訳されていない文献が多いという問題はある。しかし、それらを差し引いても少なすぎるのだ。これはどういうことだろうか?
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参考文献一覧
オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1974)講談社 村松達雄 訳
カール・R・ポパー『歴史主義の貧困』(1961)中央公論社 久野収・市井三郎 訳
トマス・モア『ユートピア』(2011) 岩波書店 平井正穂 訳
バートランド・ラッセル『怠惰への賛歌』(2009)平凡社 堀秀彦・柿村峻 訳
ボブ・ブラック『労働廃絶論』(2014) 『アナキズム叢書』刊行会 高橋 幸彦 訳
細部が異なるが、おそらく同じ訳者による訳文及び、原文が以下のページで読める。なお、本論考は書籍から引用している。
「労働廃絶論 (1985年)」 アナーキー・イン・ニッポン
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black1.html
「THE ABOLITION OF WORK」
http://www.zpub.com/notes/black-work.html
ポール・ラファルグ『怠ける権利』(2008)平凡社 田淵晉也 訳
原文は以下のページで読める。
「Le droit à la paresse」
https://www.marxists.org/francais/lafargue/works/1880/00/lafargue_18800000.htm
(WEBサイトの最終閲覧は全て二〇一八三月二二日である)
マルクス『ゴータ綱領批判』(1975)岩波書店 望月清司 訳
(次号『ソガイvol.3 戦争と虚構』の紹介記事です)
第26回文学フリマ東京
第26回文学フリマ東京で批評・創作雑誌『ソガイvol.2 物語と労働』を発売しました。ソガイのブースはカ-41、カテゴリは評論|文芸批評でした。
ソガイ@第二十六回文学フリマ東京カ-41 - 文学フリマWebカタログ+エントリー
隣のブースはカ-40「クライテリア」さんとカ-42「抒情歌」さんでした。