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世界を旅する文学 第一回 大韓民国 姜 英淑 『ライティングクラブ』

連載 世界を旅する文学とは

 この連載では旅をするように世界各国の文学作品を読んでいく。世界中の小説を読んでみたい。英、米、独、仏、露文学などの比較的日本でも読みやすい文学だけでなく。漠然と以前からこんな感情を抱いていたのが今回の企画のきっかけである。

 とりあえず以下のような方針を立てた。 

 

 あたかも旅をするように、例えば、韓国→北朝鮮→中国のように各国の文学作品を紹介していく。最終的には世界一周をする。

 一国につき一作品を取り上げる。(ただし、中国、ロシア、アメリカなど面積が大きい国は複数取り上げる)

 その国の風土がほとんど反映されていないような作品は選ばない。(例えば、寓話や宇宙が舞台のSFなど)

 これまでにブログで単独の書評を書いた作品は取り上げない。

 

 ちなみに世界の国の数は190前後ぐらいあるらしい*1。さすがにその全てに触れるのは無理だろうが、世界と銘打った以上は50ヶ国ぐらいは紹介したい。

第一回 韓国

 旅の始まりは日本の隣国の韓国から始めることにした。私はこれまでに韓国文学の作品を読んだことはほとんどない。せいぜい、李光洙(1892-1950)を読んだことがあるぐらいだ。しかも1950年に死没していることからも分かるように、彼の活動期間の殆どは日本統治時代と重なっている。私が読んだ作品もその時代のものだったと思う。実質、この作品がはじめての韓国文学と言っていい。

 そういうわけで、韓国文学の潮流なども少しも分からない。今回は愚直に作品を紹介し、感想を述べることに専念しよう。

 選んだ作品は姜英淑『ライティング・クラブ』である。とりあえず著者紹介を一部引用しよう。

1967年、韓国江原道春川に生まれる。ソウル芸術大学文芸創作科卒。1998年『八月の食堂』がソウル新聞新春文芸に当選して文壇デビュー。2006年、初の長編小説『リナ』で韓国日報文学賞を受賞(日本語訳は2011年に現代企画室より刊行)。2作目の長編小説となる『ライティングクラブ』は2011年に白信愛文学賞を受賞した。(後略)*2

  正直言って、聞いたことがないような固有名詞が並んでいる。特に賞は一つも分からない。当然、賞の性質や歴史もわからないので、こうなると賞歴もほとんど意味がないというものだ。日本文学に詳しくない外国人が芥川賞太宰治賞などを見た時にこんな印象を受けるのかもしれない。

 もっと言えば、現代企画室という出版社名すら今回で初めて聞いた。同社のサイトを見てみると、多くの海外文学を出版しているようだ。今後、この連載でお世話になるかもしれない。

ライティングクラブのあらすじ

 この小説はあらすじを説明するのが難しい小説である。といっても、描写される出来事が不条理であったり、物語の展開が複雑で登場人物が多かったりするわけではない。

 その難しさは、この小説の筋の弱さに起因している。このように書くとなにやら否定的な印象が漂ってくるが、私にその意図はない。そのような構成にしなければ表現できないこともあるのだ。

 この小説は筋の面白さや巧みさで読者を引き付けはしない。逆に、具体的な描写こそこの小説の見どころである。作品の中でJ作家が語り手に教え込むように。

「説明しようとしないで描写すること」J作家が私にしてくれた文学の第一講義がこれだった*3

 それでも一応あらすじを紹介する。かなり淡白にまとめてしまうと、この物語はソウルに住む*4語り手の一六歳から三〇代半ば過ぎまでの人生を描いたものである。そしてその人生には語り手の母親であるキム作家と文章を書くこと、読むことが深く関わっている。

 題名にもなっている、ライティングクラブとは直接的にはアメリカに移住した語り手が主催したライティングクラブのことを指している。しかし、もう少し広い意味を含んでいるかもしれない。何故ならば、キム作家は綴り方教室を開いていたし、語り手はプロのJ作家から文章について教わるからだ。

 もっとも、綴り方教室とライティングクラブが原語でどう違うのかは、朝鮮語が少しもできない私には全く分からない。

ありふれた日常

 この小説ではほとんど派手な出来事は起きない。せいぜい、後半でキム作家が病に倒れることぐらいだろうか。代わりに描かれるのはありふれた、他愛のない日常である。それらは緩やかな繋がりを持っているが、なにか一つの目的に沿って整然と描かれているわけではない。これもあらすじを語ることが難しい理由の一つだろう。

 語り手の日常はどちらかというと、冴えないものである。キム作家は、作家と仲間内では呼ばれるものの商業作家ではない*5そのため、語り手の生活は貧しい。また同棲を始めた社会主義者の男は働かず、語り手のヒモと化す。別の男とアメリカで始めた、結婚生活もすぐに破綻する。

 それでも本書には強い悲惨感は漂っていない。それは、語り手による回想形式を採用していることが大きいのかもしれない。時間を経ることにって当事者性が減少し、少し客観的な冷めた目線で語られているということだ。

 こんな本書の中から、私が印象に残った場面をいくつか紹介しよう。大学受験に失敗し、語り手が就職活動をする場面がある。仕事内容は英会話の教材のセールスだ。

後ろに座っていた人が質問をした。「私は英語ができないんですけど、どうすればいいんですか」答えは簡単だった。「それは全く関係ありません。顧客は韓国人ですから」*6

 全く馬鹿馬鹿しい限りだ。とはいえ、この馬鹿馬鹿しさは世の中を生きているとよく遭遇する類のものである。お笑い芸人が漫才やコントで作るお笑いとはまた違う。決定的に違うのは、芸人と違ってこの会社の説明役は大真面目だということだろう。

 また語り手が職場の同僚たちに『ドン・キホーテ』を紹介する場面も印象深い。語り手は主人公ドン・キホーテの滑稽さを同僚たちに語るが、全く理解してもらえないのだ。このシーンで語り手はまさしくドン・キホーテのように滑稽である。

時の流れ

 明確な年齢や年月の描写が少なく、いつの間にか、作品内の時間が経過していることに気付かされるのもこの作品の特徴である。物語の終盤には、語り手は30代半ばを過ぎて皺ができる。また、母親のキム作家はすっかり老婆になって病気で死にかける有様だ。

 作品の中ではしばしば語り手とキム作家の親子喧嘩や諍いが起こるが、こうなってはそんなことは遠い過去である。ありふれた日常の裏でも、しっかりと時間は経過しているということだろうか。

 あるいは、人間は時間の経過をそれほど強く認識してはないということかもしれない。例えば、子供ならともかく、大人になると自分の誕生日を祝福されない人も多いのではないだろうか。あるいは新年になった時に、もう一年が終わったのかと呆然とすることがある。時はいつの間にか過ぎていくものである。小説が終盤に差し掛かった時に、それを感じた。

どこかで見た世界

 私は韓国の文化にはさして詳しくはない。しかし、そのことはこの小説を読む上でさして障害とはならなかった。せいぜい、漢字の韓国語読みに苦戦したぐらいだろうか。どうにも日本語で読んでしまうので、いっそカタカナのほうがまだ頭に入るのだ。とはいえ、韓国の地名や食品、人名などの固有名詞はふんだんに出てくるがそうでない物も多い。

 例えば、語り手は頻繁に文学作品に言及するのだが、これは欧米のものが圧倒的に多い。例えば、ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、セルバンテスドン・キホーテ』、シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』、シモーヌ・ド・ボーヴォワール
『人はすべて死す』などだ。

 また、韓国特有の固有名詞を日本やアメリカ特有の固有名詞と置き換えても、それほど違和感を感じないのではないか。というのも、小説で描写される日常の多くが日本やその他の欧米文化が浸透した国と大差なく思えるからである。登場人部たちの行動や思考も韓国人特有のというより、日本人でもあまり違和感のないものである。あるいはドイツ人やアメリカ人と比べてもそうかもしれない。

 考えてみれば、日本人も別に和食だけを食べるわけではない。日本文学だけを読むわけでもない。洋食*7を食べたり、海外文学を読んだりもするわけだ。

 グローバリゼーションが進む世界では、良く言えば普遍的な、悪く言えばどこかで見たような生活が世界のあちこちで過ごされているのだろう。そして、その生活は外国かぶれというよりもはや日常のありふれたものである。朝ごはんのトーストを食べる時に、外国料理を食べていると、いちいち認識する日本人がいないように。

 『』

 次回は38度線を超えて北朝鮮に渡る。

参考文献

姜英淑『ライティング・クラブ』(2017)文茶影 訳 現代企画室

全てここからの引用なので書名は省略した。

*1:分裂国家の承認など政治問題が絡むので数え方によって、微妙に異なる。例えば、日本が承認している国の数は195。日本を加えると、196ヶ国である。一方、国連加盟国は193ヶ国である。

世界と日本のデータを見る(世界の国の数,国連加盟国数,日本の大使館数など) | 外務省

(二〇一八年三月三十日最終閲覧)が出典である。

*2:『ライティングクラブ』著者紹介より。

*3:78ページ。

*4:小説の後半で結婚のためアメリカに移住する。

*5:一応、終盤に文学賞を受賞する。

*6:98,99ページ。

*7:往々にして日本人の口にあうように味付けは変わっているが。