ソガイ

批評と創作を行う永久機関

掌編小説 『遊具』 雲葉 零

『遊具』      

 蜂の巣状のように、あるいは安普請の集合住宅のように部屋がびっしりと詰まって区切られている。部屋の仕切りは合板で、殴れば壊れるようなちゃちなものである。周囲を見渡すと、左右それぞれに階段があり、上下に続いている。階段もやはり合板でできている。試しにいくつか登ってみても切りがない。しょうがなく、ある階で止まって、一つ扉を開けて見る。畳敷きの部屋の中では、親族たちが宴席を開いていた。親戚づきあいなどする質ではないから、仲間外れにされたと怒るつもりはない。しかし、奇妙だったのは彼らが僕のことなど全く無視していたことだ。手づかみで刺し身をつまみ食いし、ビールを飲んでも何の反応もない。 

手持ち無沙汰から、窓のほうに目をやると、白い金属状の平べったい物体が見えた。ヘラのような形状だと言えば分かりやすいかもしれない。その広さは六畳は優にあるのではないか。初めは宙に浮いているのかと勘違いしたが、先を見ると巨大な支柱がある。ヘラはそこにつながっているのだ。そして支柱に近づくにつれて、棒状に細くなっていた。  

 窓枠にほとんど接していることもあり、僕は無意識に足を載せてしまう。両足を載せ終わったその途端に、初めはゆっくりと、それからどんどん速く、その物体は回転をし始める。部屋の中では親族たちが手を振り始めていた。窓から部屋へ飛び込もうとすることもなくぼんやりとしていたが、あまりの回転の速さに恐怖を感じ始める。だが、もう遅い。振り落とされないようにうつぶせになるが、掴みどころがないので、少しも安定しない。顔だけ上げていると、白い支柱に黒字で遊具と書かれているのが見て取れた。

 遊具はますます回転の速度を上げている。遠くに、現実離れした巨大な大きさの銅像が見える。まるで独裁者の銅像のようだ。その銅像の人物はスーツを着ていて、プレートには有馬里三と名前が書かれている。有名な作家だ。教科書にも載っているので、ちょっとませた小学生だって知っている。その時、何故かこの人物が遊具の設計者であるという閃きが浮かんだ。こんなふざけたものを考えつくのは作家ぐらいしかいない。 

しかし、その憤りと同時にだんだんとこの遊具にも慣れて、ちょっと楽しくなり始めていた。折しも、夏であり風に吹かれるのは気持ちがいい。しばらくすると、通っている大学近くのホームセンターが目線に入ってくる。父親と幼女が植物コーナーで買い物をしていて、微笑ましい。そこで、はたと大学が近くにあるという恐ろしいことに気づいて、物見遊山に来たような気分が一瞬で吹っ飛んだ。やたらと高いビル群で構成されているあの大学に、こんな遊具で突っ込んだら衝突するのは目に見えている。どうすべきか少し考えたが、答えは出なかった。

 いつのまにやら、今度は遊具の速度が落ちてきているようだった。それにどんどんとヘラが地上へと近づいてきている。おまけに傾き始めているので、するすると滑り落ち始める。ここで脱出するしかないと、ヘラから僕は滑空した。とっさに受身の体勢を取る。五メートルほどの高さがあったと言うのに、地面に落ちた時にそれほど痛みはなかった。中学生の時に少しだけだが柔道を習っていた経験が、ここで生きたのかもしれない。あるいは遊具らしく、僕には見当もつかないような安全対策が施されているのかもしれない。

 部屋中に設置された電子計算機が唸りを上げ、熱を吐いている。南が吸うタバコの煙が部屋に充満する。扇風機がついてはいるが、煙草の煙をかき回しているだけで、たいして効いていない。挙句にはゴミが充満するひどい部屋の中で、僕は汗を拭いた。やっと計算機から出力された紙を手にした南いわく、僕が言ったような遊具は物理上ありえないのだという。僕が乗った平面上の部分が高速回転すると、その遠心力に支柱が耐えきれないはずらしいのだ。僕の証言が不正確なことを考えて、いろいろな条件で物理解析をしてみたが、どうやっても二つも桁が違うほどの強度不足を生じるらしい。

「しかし本当にそうだったんだよ」

 何の理屈付けにもなっていない僕の弁明を、南は訝しげに聞いていた。部屋の片付けはろくにできない奴であるが、これでも奴は工学部随一の秀才である。確か、奨学金を貰っていたはずだ。物理現象に関して、奴が言うのなら当たっているのだろう。夢でも見ていたのではないかと、問われると僕には反論することができない。そんな時に、部屋の木戸を静かに叩く音が聞こえた。南が開けると、黒いスーツを着た中年男性が立っていた。右手には紙袋を持っている。しかしサラリーマンとは雰囲気がまるで違う。彼はこの度は申し訳ありません、と僕及び南に一枚ずつ名刺を渡す。 雑誌国民文学 編集  白石  

とだけでかでかと書かれていて、会社内での部署や電話番号が一切ない。それから彼は半ば無理矢理に部屋の中に入ってきて、間髪をいれずに説明を始める。有馬先生の遊具が被害を及ぼしたことを心からお詫びします。先生に悪気がないことをご理解くださいと。そして紙袋からウイスキーと菓子折りを取り出して、ほんの気持ちですのでお受け取りくださいと頭を下げる。 やはり、あれは有馬里三の仕業だったのかと、僕は得心したが、南はそうではなかった。そのような遊具は物理的に存在しないはずだと、詰問を始める。白石編集は南の問に、大意以下のように、にこにこしながら返答した。先生の遊具は小説的原理に基づいているので、一般の物理現象を超越するのです。ニュートンやファラデーあるいはローレンツなどは優秀な物理学者でしょうが、小説家ではありません。よって、彼らの理論は、先生の小説的遊具の前に無意味なのです。ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学が相容れないように。

 南は白石編集の言葉に納得できかねるようにしきりと首を傾げている。そんなことはお構いなしに、白石編集はコップはありませんかと聞くこともなく、そこら辺に転がっていたグラスを洗って用意した。それからグラスにウイスキーを注ぐ。僕達に何かを言わせる間もなく、どうぞ、どうぞと笑いながら南に注ぐ。下戸の奴はあっという間に気持ちよくなってしまった。

 次に白石編集は僕の方にも酒の入ったグラスを差し出したが、固辞した。遊具のからくりには納得したが、有馬里三を許したわけではないからだ。暫くの間、白石編集と南は愉快そうに酒宴を楽しんでいた。こうなってくると、少し腹立たしくなってくる。どうにも、振り回されたものと、振り回されなかったものの間には越え難い壁があるようだ。これでは振り回され損ではないか。

  一体どれぐらいの時間が経ったのだろうか。僕は眠り込んでしまったようだ。日が暗くなっていくる。それに暗澹とした気持ちでいるうちに、奇妙な来客は帰って行ってしまっていたようだ。ウイスキーの瓶と菓子折りが空になっている。そして、僕は白石編集の顔が銅像の人物そのものだったことにようやく気づいた。