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「小説の筋」論争からみた、芥川と谷崎

 最近、『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録ほか』(講談社文芸文庫)という本が出た。言うまでもなく、芥川龍之介谷崎潤一郎との間に起きた「小説の筋」論争に関連する文章を編纂した本である。私はそれなりの時間をかけて、この「小説の筋」論争について勉強していたこともあり、収録されている文章はほとんど読んだことのあるものだった。この本の編者は、千葉俊二氏。従来見過ごされていた、「大正期のスランプ」の谷崎研究のパイオニア的存在で、この度完結した『谷崎潤一郎全集』(中央公論新社)の編者でもある氏の、これは補遺的な仕事のひとつ、ということもできるかもしれない。

 そもそも、 私がこの論争に興味を抱いた理由として、ひとつは、谷崎潤一郎が好きであること、もうひとつは、この論争が「純文学/大衆小説」という現在にまで連なる区分に、大きな示唆を与えてくれるのではないか、と思ったことがあった。

 恋愛小説、SF小説、ミステリー小説、などのような物語の内容を具体的に表す「ジャンル」とは異なり、純文学と大衆小説(エンターテインメント小説)という言葉は、その物語の内容を表してはいない。それでありながら、「純文学だから難しい」「あの作品はエンタメだから」などと、この区分によって作品が語られる場面は非常に多い。たとえば、村上春樹を純文学というひともいれば、エンターテインメントだ、というひともいる。この問題に正解はあるのか、ないのか。

 このふたつの区分は、正直なところ定義がはっきりしない。よく言われるのが、掲載誌。「文學界」「群像」「新潮」などの文芸誌に載っているのは純文学であるとする考え方だ。しかし、文庫書き下ろしが増えているいま、その定義も怪しい。そういえば、新潮社の「純文学書き下ろし」シリーズというものもあった。あるいは、今村夏子のような作家は、この定義においてはどうしても例外的存在になってくるだろう。

 もうひとつは、純文学は芸術性を追求した小説で、大衆小説は読者を楽しませることを主目的とした小説である、という定義だ。とりあえずこう説明しておけば、お茶は濁せそうである。しかしこれだって、だいぶ怪しいものだ。*1少なくとも私には。それが楽しくなければ「純文学」とされているものなど、わざわざお金や時間をかけて読むことなどしないし、大衆小説が楽しませることが主目的ならば、(多少は触れるとはいえ)私がドラマや映画、マンガなどの他ジャンルにそれほどまでの関心を示さないのか、説明がつきそうにもない。

 もし、この国における「純文学/大衆小説」の区分を確固たるものとしているものがあるとすれば、芥川賞直木賞という、世間的に最も権威のある文学賞であろう。その半年の間に発表されたなかで最も優れた新人作家の純文学作品に与えられる芥川賞、中堅作家の大衆小説に与えられる直木賞。1年に2回、と、ある意味日本で一番受賞しやすい文学賞が、「純文学/大衆小説」という区分の権威、ひいては、その区分の存在を強く根付かせている。

 もっとも、こんなことはいままでも散々言われていることで、とくに目新しさはない。ただひとつ、「小説の筋」論争と絡めていうならば、「『話』らしい話のない小説」という、心境小説(いま純文学といわれているものは、この系列に近い)を志向した芥川龍之介は、純文学の賞として文字通りその名を残し、小説とはそもそも民を楽しませるために作られたものであり、「構造的美観」こそが小説の特権である。これから私は大衆小説を書いてみせる(『乱菊物語』)、とまで豪語した谷崎潤一郎が、早い時期から直木三十五歴史小説を評価していたこと。終に長編小説を書くことができなかった芥川*2の名を冠するこの賞が、短・中編作品を対象としていて、大衆小説を推した谷崎が、芥川の自殺後、『源氏物語』の現代語訳や大長編『細雪』に取り組み、事実直木賞は長編小説を対象としていること。こんなことを付け加えてみてもいいだろう。*3

 さて、この論争の経緯や、個々の作品からこの問題を論じてもよいのだが、それは別の機会に譲りたい。というのも、実は、私自身、この論争のことについて調べていたときに特に印象に残ったことのひとつは、芥川の自殺によって打ち切られることになったこの論争中の、芥川と谷崎の私生活におけるエピソードなのだ。

 このふたりの仲は、べつに悪いものではない。むしろ、良いとさえ言えそうだ。論争の方も、お互いの「話」の概念というか、意味するところがどうも食い違っていたせいかすれ違い続けた感はあるが、喧々諤々の口論というようには見えない。千葉氏も本書の解説のなかでこう語っている。

 

が、谷崎と芥川の論争は、文学論争といっても相手の議論を徹底的に攻撃して、相手を叩きのめすまでに説き伏せようとするものではない。それぞれ敬服しあい、お互いに相手の文学観を鏡にしながら自己の文学的立場を固めようとしたものだといえる。(p303)

 

 「饒舌録」にしても「文芸的な、余りに文芸的な」にしても、それぞれ単独で通読したときとは違った印象を受ける。たとえば、先ほど触れた芥川の五月号での文楽への言及は、谷崎の七月号での人形芝居についての論を引き出し、四月号での谷崎の西洋と東洋との比較論は、芥川の六月号の「三十一「西洋の呼び声」」に呼応している。このように互いの論に触発されながら各々の文学談義を展開していることに気づかされるが、ほかにも文章の端々に互いを意識しながら書かれた箇所も少なくない。(p303-304)

 

 『芥川君と私』において、「芥川君と私とはいろいろな点でずいぶん因縁が深いのである。」と谷崎が語るように、芥川と谷崎には因縁、共通点が少なくない。下町生まれ、学校、反自然主義、檀家(現在ふたりは同じ寺の墓に眠っている)、さらには芥川の命日が谷崎の誕生日であること。偶然にしてもややできすぎだと思われるこの因縁こそ、むしろ小説じみていると思わないでもない。

 谷崎が芥川について語った文章のなかで最も感傷的なのが『いたましき人』である。もちろん、この「いたましき人」とは芥川のことを指しているのだが、この文章のなかでは谷崎も「いたましき人」として映ってくる。たとえば冒頭。

 

出来てしまったことをあとになって考えると、ああそうだったかと思いあたる場合が幾らもあって、なぜあの時にそこへ気が付かなかったろうと今更自分を責めるけれども、もうそうなっては取り返しがつかない。わが芥川君の最近の行動も、今にして思えばまことに尋常ではないものがあったのに、君がそう云う悲壮な覚悟をしていようとは夢にも知らなかった私は、もっとやさしく慰めでもすることか、いい喧嘩相手を見つけたつもりで柄にない論陣を張ったりしたのが、甚だ友達がいのない話で、故人に対し何とも申訳の言葉もない。(p283)

 

 最後に会ったとき、佐藤春夫といっしょに人形芝居を観たこと、芥川が谷崎を家に引き止めて夜通し話をしたこと、谷崎がタキシードに着替えると、「わざわざ立ってタキシードのワイシャツのボタンを嵌めてくれ」たこと、谷崎が欲しいとこぼしていた「即興詩人」を自分の蔵書から送ってくれたこと、最初から谷崎に送るつもりで丸善で買った「コロムバ」を手紙付きで送ってくれたこと。さまざまな記憶が、終始この沈痛な筆致で紡がれていく。この親密な交際に、ふとすると忘れてしまいそうだが、これらはすべて、論争中の出来事なのだ。

 「小説の筋」論争について個人的な意見を言わせてもえらえば、谷崎の主張は、それを支える具体例も含め説得力のあるものであるのに対し、芥川の主張、とりわけ「『話』らしい話のない小説」や「純粋な小説」という繰り返し述べられる言葉は、定義からしてはっきりせず、ついに具体的な説明まで及ぶことはなかった。*4谷崎に「左顧右眄」している、と言わせたのも、もっともである。あるいは、現実的である谷崎に対し、芥川の主張はどこか観念的で、実感が薄い。*5

 しかし、この時期芥川はすでに自殺の意思を固めていたことを考えれば、それもさもありなん。遺稿『或る阿呆の一生』を人生の辞世の句とすれば、『文芸的な、余りに文芸的な』は作家芥川龍之介の辞世の句だったのかもしれない。これからもずっと小説を書いていこうと思っている谷崎とは、心構えが違ったのである。

 谷崎曰く、自著以外を贈答することなどなかった芥川に立て続けに本を送られ、感謝しながらもどこか気にくわず、論争を再開させたことを振り返って、谷崎はこういう。

 

思えば芥川君は論戦なぞを少しも気にしていたのではなかった。死ぬと覚悟をきめてみればさすがに友達がなつかしく、形見分けのつもりでそれとなく送ってくれたものを、誤解した私は何と云うネジケ者であったろう。此の一事、私は今にして故人の霊に合わす顔がない。浅ましきは私のツムジ曲りである。

(……)

 聡明で、勤勉で、才気煥発で、而も友情に篤くって、外には何の申し分もない、ただほんとうにもう少し強くあってくれたらばこんなことにはならなかったであろうものを。思えばいたましき人ではある。(p285-286)

 

 白状すると、いまこのエッセイを読み直したとき、(ややお酒が入っているせいもあるかもしれないが)不覚にも涙をこぼしそうになった。芥川のことは、たとえば彼が「純粋な小説」の作家として賞賛した志賀直哉の『沓掛にて』にも書かれている。『奉教人の死』について、最後の最後で主人公が女であったことが判明するこの物語が、志賀に「仕舞いで背負い投げを食らわすやり方」だと批判され、「読者の鑑賞がその方へ引張られるため、そこまで持って行く道筋の骨折りが無駄になり、損だと思う」と評価された。これこそ、谷崎が論争のなかで主張した「構造的美観」を活かした小説であった。(映像作品において、受け手側に最後まで性別や容姿を勘違いさせることは、実はかなり難しい。そういった意味で、『奉教人の死』は極めて小説的な筋を持っている。夢野久作『死後の恋』、ナボコフ『絶望』などが私には思い出される。)

 このとき、「芸術というものが本統に分っていないんです」とこぼした芥川は、死を覚悟して、論争相手で友人でもある谷崎を前になにを思っていたのだろうか。残念ながら、芥川の口からその思いを聞くことは叶わない。

 そういえば最近、『芥川追想』(岩波文庫)という、芥川の自殺以後に多くの文壇人から語られた芥川についての文書をまとめた本が出版された。論争のきっかけとなった「新潮」の合評会で、谷崎の『日本に於けるクリップン事件』を批判する際に同種の問題を抱える作品として持ち出した自著の『藪の中』のように、芥川龍之介という人間は、語られる存在となっているのかもしれない。

 芥川の命日は、谷崎の誕生日である。昭和の始まりにおこなわれ、芥川の死によって打ち切られたこの論争の終結は、「大正期のスランプ」を乗り越えて大作家へと成長していく谷崎の誕生でもあった。『吉野葛』や『春琴抄』などの純文学/大衆小説の垣根を越えた作品の数々をみていると、本当にそう思う。

 いま、同じ寺の土のしたに眠るふたりは、なにを話しているのだろう。思い出話だろうか、それとも論争の続きだろうか。あまりお酒を飲まなかったという芥川だが、高血圧だろうがなんだろうがビフテキを食べようとする豪快な友人に引っ張られるようにちびちびとやり、ふたりよろしくやっていてほしい、なんて思ってしまうのは、教科書や便覧でみるあの神経質な表情ばかりではなく、調子に乗ってカメラの前で木登りをしてしまうお茶目な芥川龍之介という人間をもっとみてみたい、なんていう、私のわがままであろうか。

 

※引用の頁は、すべて『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録ほか』(講談社文芸文庫)による。

 

(文責 宵野)

*1:以上のように定義がはっきりしない、どこか主観的であるからこそ、たとえば春樹は純文学かエンターテインメントか、といった議論は水掛け論になってしまう。そして結論が出ないばかりか、互いにかえって強硬な姿勢を取らせるのであろう。つまり、おまえのいう「文学」と俺のいう「文学」は違う、と。これでは、ほとんど違う言語を使って話しているようなものだ。はなから、歩み寄ることを放棄しているに等しい。

*2:邪宗門』『路上』などの、芥川にしては長い作品はいくつかあるが、しかしどれも中断しており、完結はしていない。

*3:純文学/大衆小説問題については、芥川の自殺の8年後に発表された、横光利一「純粋小説論」も大きな議論のひとつだ。このなかで横光は、「純文学にして通俗小説」である「純粋小説」こそがこれからの小説の活路である、というのだが、通俗小説の要素である「感傷」と「偶然」を「四人称」を用いて純文学に取り込むこと。そのためには長編小説でなければならない。このように主張していることを考えると、純文学と大衆小説、芥川賞直木賞の長さについての問題も、あながち無視できない。

*4:そもそも、芥川はまず、一般的な定義とは異なる意味で用いている「話」という言葉について、しっかり説明すべきであった。谷崎は、芥川がいう「話」がよくわからないまま、しかしその言葉を使って論争を続けざるを得ず、すれ違い続けるのも当然のことだった。

*5:事実、この論争については、谷崎の方に理があるとする評価が多い。しかし、たとえば佐伯彰一氏は『物語芸術論』のなかで、谷崎の圧倒的優勢を認めながらも、結果的には芥川の小説論の方が強く生き延びたこと(純文学、ひいては「文学」という言葉から想像されるのは、芥川的な「『話』らしい話のない小説」のことではなかろうか)を指摘し、歴史的な勝者はむしろ芥川である、と述べている。