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『茄子の輝き』書評

滝口悠生『茄子の輝き』書評

 

 初めての八重洲ブックセンターで浮かれていなければ、もしかしたらこの本を私は手に取っていなかったかもしれない。

 というのも、芥川賞を受賞した『死んでいない者』の良さが、あまりよくわからなかった。大きな事件も極端に現実離れした設定もない、という物語自体は、むしろ最近の好みであるのだが、それにしてもあまりに淡々とし過ぎていて、また私には、あれだけの数の登場人物をそらで把握することは到底不可能、だからといって、自分で家系図を作るほどの気力はわかなかった。この作者は、自分には合わないかもしれない。ところどころの描写や全体の雰囲気には、これは、と思わせる部分があったのに、いま思えば、一作読んだ程度でとんだ早合点であった。

 本書は、6篇の連作と1篇の短編から構成されている。

 連作は、なんだか理由もわからず妻に逃げられた語り手の市瀬を中心とした人間模様が、淡々とした筆致で描かれる。彼の勤める高田馬場のカルタ企画は、メーカーから外注を受けて、製品の説明書をデザイン、制作する会社。午前11時までに出勤すること、隔週の月曜日におこなう会議に必ず出席すること。それさえ守れば、時間外手当が一切出ない代わりに、好きなときに好きなだけ昼休みを取り、与えられた業務が片付けば早くあがっても構わないという、ほとんど自由裁量制が採られている。従業員は10人程度と小さな企業だ。妻と離婚してからこの会社にたどり着いた市瀬は、やりがいは感じないし愛社精神もないが、なんだかんだ楽しく働いていた。

 市瀬にはひとつの習慣があった。それは、日記をつけること。元々結婚していたときからつけていたのだが、離婚により中断。後からカルタ企画に入った千絵ちゃんの存在を契機に、彼はまた日記をつけ始める。

 七歳年下の千絵ちゃんに対する市瀬の入れ込みようは尋常ではない。日記には、その日の彼女の所作などが記されている。しかし、彼の千絵ちゃんに対する感情は恋愛ではない。千絵ちゃんにはバンドマンの彼氏がいて、同棲もしている。

 離婚後、市瀬はあるひとつの妻の表情を撮った写真を何枚も複製して切り抜き、いろいろな背景に貼り付け、コラージュのようなことをしては、週に何回かそのアルバムを取り出しては眺めていた。千絵ちゃんは、そんな市瀬の離婚のショックを慰め、以来断っていた女性とのつながりを感じさせてくれる存在だった。彼女の入社を機に、市瀬は明るさを取り戻し、同僚とも食事に行けるようになった。そんな市瀬が、月曜会議で問題提起されたお茶汲み当番制の改善、妻との島根旅行、会社の経営悪化による退職、彼氏の実家である出雲に行く千絵ちゃんとの別れ、居酒屋で出会ったその日に家に連れ込んでしまったオノという女性……。さまざまな出来事を、ひとつひとつ振り返るように、語っていく。

 この連作の特徴に、これが震災以後の文学であることがひとつ挙げられる。市瀬は、震災以前に離婚してカルタ企画に就職、千絵ちゃんに出会っている。そして震災後の2011年9月、退職する。震災以後、市瀬は地震を過敏に恐れるようになる。ときに震度1の地震でも飛び起きて、外に飛び出す。震災のとき、市瀬は、離婚していてよかった、と思っている。自分の財産を失うだけなら構わない。しかし、妻の大事なものが失われたり、ましてや妻が家屋の下敷きになったりもすれば耐えられない。つらさは倍になる。そんな風に語る。いつ、自分の身に災難が降りかかるのか。漠然とした不安を抱えながら、市瀬はひとり、木造アパートで暮らしていた。

 また、この物語には川がしばしば登場する。職場近くの神田川のほか、島根旅行で妻と散歩した川、妻の実家の目の前を流れる川、同じく妻がひとり暮らしをしていた西八王子の家の前の川。

 舞台の中心は、高田馬場を中心とした東京の真ん中である。自然と対極にある大都会であっても、そこにはいくつもの川が流れている。飯田橋、市ヶ谷、水道橋、お茶の水、秋葉原……総武線の車窓からは、降りてみれば塩臭い川が流れている。あの渋谷にだって、川はある。そして、川には橋がかかっている。この物語から想像される橋は、たとえば隅田川に架かる大きな鉄橋や、自然豊かな土地の木の橋とは異なる。たとえば私なら、高田馬場という土地からして、駅を降りて交差点を渡り、坂を下った先にある神高橋、あるいは、文字通りの水道橋、お茶の水の聖橋、秋葉原なら万世橋といったところだろうか。もしかしたら、ここに日本橋を入れてみてもいいかもしれない。つまりは、川にかかる橋としてはあまり意識されておらず、だれもが歩道として、当たり前のように渡っている、石像だったりコンクリートだったり、欄干のくすんだプレートに目を留めて見なければ名前を知ることもない、小さな橋である。ここではまだ有名なものを挙げたが、東京には、このような名もなき橋がいくつも存在する。ただ、あまり意識されていないだけで。

 つまり私たちは、いつも流れる川の上を歩いている。人間の意識的な運動によらない自然の運動が、たとえそれが目に見えなくても、いつだって足許に流れているのだ。市瀬の一人称で語られるこの物語にも、やはりこういった、表に出てこない流れる意識がある。

 

「もちろん千絵ちゃんのことはその限りではない。千絵ちゃんのことは忘れようはずがない。」

 とある。会社を辞めた直後、二〇一一年九月のある日の記事だ。

 それで私は千絵ちゃんのことを思い出す。というのは噓で、実を言えばとっくに思い出していた。というか、はじめから千絵ちゃんのことを考えながらこの街に来て、川をのぞいてみたり、増水のことを思い出して見たり、会社のあった場所を訪れてみたりしていた。(p71)

 

 東京都会の川、とくに下流の方はもう汽水域といってもよいのでは、と思わせるくらい、塩の気配が漂っている。隅田川河口にはフジツボだって生息している。海。2011年3月11日を経験してしまった私たちは、否応なく、あの津波を思い起こさせられる。ただ、そこにあるだけだと思っていた、自然の水。しかし、それがいつ私たちを飲み込み、押し流していくのかはわからない。もはや私たちは、足許を流れる水と無関係では生きられない。

 人間の意識も、また同じものであるのかもしれない。単純に、意識と無意識に分けるとする。人間、平生はあくまでも自分は意識の領域で動いていると思っている。ある人間の現在は過去の積み重ねである。その過去だって、だんだんと色褪せて、ぼやけて、やがてほとんどを忘れてしまう。それでも、やはり無意識の領域では、良い記憶も悪い記憶も、からだや心のどこかで、静かに流れている。平穏なときは、ほとんど無視しうるほどのものでしかない。しかし、身近にありながら目を向けていないがゆえに、一度その流れが氾濫を起こすと、気がついたときにはもう飲み込まれ、どうしようもなくなってしまう。

 書く・語る、という行為は、どこかでそれに抗おうとする意思だ。日記は過去の自分を紙の上に残す。語ることで、意識の砂を掬い、地下に流れる無意識の水脈を掘り当てる。無意識を発見したからといって、それを意識の支配の下に置くことはできない。無理に流れを堰き止めればかえって氾濫を招くことだってあるし、埋め立てても脆弱な土地が生まれるだけだ。滝口が描く世界に、極端に大きな事件はない。しかし、そもそも不安というものは、こういったなんでもなさそうな生活にこそ蔓延しているものである。あるかどうかもわからないから不安なのだ。それが、恐怖との違いだ。

 そこに、無意識が流れていることを見ること。それが、漠然とした不安を抱えるひとびとが少しでも穏やかな心構えをするために、必要なことなのかもしれない。

 (文責 宵野)