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書評『炸裂志』 閻連科 前編

文責 雲葉零

閻連科の紹介

 村上春樹に返信を送った中国人作家

 時は2012年、尖閣諸島問題で日中が激しく対立していた時期に村上春樹は『魂の行き来する道筋』というエッセーを発表した*1。当時、中国の書店から村上を始めとする日本人作家の本が撤去されるという事態まで起こっていた。

 そんな状況で、村上は「安酒の酔い」という表現で領土問題と国民感情が結びつくことを戒しめた。また東アジア圏での文化交流の発展を評価し、文化の力によって政治的な問題が解決することを期待していたと述べている。村上は題にもなっている、魂が行き来する道という表現で文化交流を維持することの重要性を説いて、エッセーを締めくくった。

 この文章は、日本国内でも賛否の両面から大きな反響を呼んだが、中国でも話題となった。そんな中、村上のエッセーへのいわば返信を発表したのが閻連科であった。それが単行本『炸裂志』内に収録されている『中国の作家から村上春樹への返信』である。その文章で彼は村上と大江健三郎*2への尊敬の念を表明している。さらに反日デモによる打ち壊しの原因が中国人が抱えている説明できない苛立ちにあると推測している。

 作者の経歴

閻連科は1958年に河南省の貧しい農村で生まれた。20歳の時、人民解放軍に入り、創作学習班*3で創作活動を始めた。彼は軍出身の作家にも関わらず、反体制的な作品を発表することが多く、中国政府から度々発禁処分を受けている。具体例としては、軍人の苦悩と戸惑いを描いた『夏日落』、毛沢東と性描写を絡めた『人民に奉仕する』*4他の作品には魯迅文学賞を受賞した『年月日』、老舎文学賞を受賞シア『愉楽』等がある*5。2014年にはフランツ・カフカ賞を受賞している。またノーベル文学賞候補ともいわれている。もっとも、数十年後にならないと、情報公開がされないので真相は分からないが。

 『炸裂志』とは

 本作は炸裂市政府から作者閻連科が依頼され、執筆した地域史という体裁を取っている。作中では架空の地域炸裂が寒村から大都市へと成り上がっていく様が描かれている。炸裂のモチーフは中国屈指の経済特区深センだとされる*6。ちなみに深センがどのように発展してきたかは以下の記事で知ることができる。

http://diamond.jp/articles/-/114504

 さて、作中で中心人物として描かれるのが、孔家の四兄弟と四兄弟の次男孔明亮の妻になる朱穎である。彼らを中心にざっと登場人物を以下にまとめてみた。

 

孔家四兄弟

長男 孔明光 小学校教師。後に大学教授、学長にまでなる。

次男 孔明亮 庶民から超級都市*7の市長へまで成り上がる。本作の主人公格と言ってよい。

三男 孔明耀 軍人になるが出世できないまま、除隊する。孔明亮のコネで、鉱山を経営し、莫大な財産を築く。また、愛国心に燃え、私兵組織を作り上げる。

四男 孔明輝 成績優秀な学生で大学進学を志望したが失敗。兄のもとで役人となる。兄のコネで出世を遂げるものの、役人生活に嫌気が差し職を辞する。

 

朱穎 孔家と対立していた朱家の出身。孔明亮によって、父親は殺され、炸裂を追い出される。売春業を営み、巨万の富を得る。孔家に復讐するために孔明亮と結婚する。

程菁 孔明亮の秘書を務める女性。孔明亮と共に出世を重ねる。また、彼と性的な関係を持ち、朱穎と対立する。

 

 『炸裂志』のあらすじ

 改革開放政策が取られ、富裕になることが奨励され始めた中国。そんな中、孔明亮は大きな財を築くことに成功する。その手段は鉄道貨物からの窃盗である。また富裕になったことを評価された孔明亮は村長になり、村全体を窃盗団にしていく。こうして炸裂は豊かになっていく。鉄道のダイヤ改訂で窃盗が行き詰まると、朱穎がさらなる商売を炸裂にもたらす。それは村外への売春である。さらには孔明亮が村の外での盗みを命じる。こうして不正と不道徳で得た金を元手に炸裂は凄まじい速度で発展し、孔明亮は出世していく。

  最終19章では、18章の描写で死んだはずの市長、孔明と作者が閻連科が面会する。作者は依頼されていた『炸裂志』を孔明に手渡す。だが、一読した孔明は怒り、『炸裂志』を焼き払ってしまう。

 19章は僅か4頁しかないのだが、このように作品の構造を一変させる重大な章である。敢えて整合的に解釈すれば、2から18章までの描写は炸裂の現実の歴史を元にした、19章に登場する閻連科が創作した小説ということになるのだろう。以下、基本的に2から18章までの描写を元に本作を説明する。

 現実の中国の歴史との対照

 作中では中国の歴史的な事件が度々出てくる。より、作品が理解できると思うので、年表にしてまとめておく。また事件名の後ろの()内の数字は作品内で事件の描写がある頁である。

1978 改革開放政策開始(18) 社会主義経済から市場主義経済への移行が始まる。

1999駐ユーゴスラビア中国大使館誤爆事件(263) コソボ紛争の際、米軍が中国大使館を誤爆した事件。

2001海南島事件(294) 中国機と米軍機が空中衝突。中国側のパイロットは死亡。

巨大なエネルギーを秘めた怪作

 描写においても内容においても、本作が秀でた作品にあることに疑いはない。しかし、敢えて卑近な言い方をするならば、優れているというよりもむしろ凄いのだ。読んでいると溢れんばかりのエネルギーが感じられる。

 常識はずれの内容

 一つには描写の内容が並外れているからである。例えば、作中ではこれでもかというほど政治の腐敗が描写される。例えば、炸裂が鎮から村に昇格する際には莫大な金が費やされ、美しい女性が権力者に送られる。また孔明は上役に炸裂が県になった暁には炸裂の一〇%の財政収入を贈呈することを約束する。

 庶民も腐敗に慣れきっている。そんな中、兄のもとで役人になったものの、不正と過剰な権威を嫌うのが四男の孔明輝である。彼は賄賂あるいは贈り物を拒絶し、役職名で呼ばれるのを好まない。そんな彼に対する周囲の反応は極めて印象的である。彼らは四男が精神疾患を患っていると考えたのである。彼は兄によって精神科での検査を受けさせられる。

 また政治の腐敗と絡んで拝金主義も痛烈に描写されている。前述したように、村長になった孔明亮は鉄道の貨物を盗むことで村を豊かにさせようとする。だが、走行している列車から盗もうとするので危険極まりない。実際に死者が出ることになった。当然、遺族が怒りの声を上げるのだが、孔明亮は簡単に彼らを金で懐柔してしまう。しまいには遺族は喜びの声さえあげる。反米思想を抱いている三男孔明耀に対する、孔明亮の以下の発言は異常なものである。

「心を砕くなら金を稼ぐことにしろ。お前の持ってるその程度の金で何ができるというのだ? 空母が買えるか? 原子爆弾を炸裂に買って、アメリカに向かって発射したい、と言って発射できるというのか? お前の兄として、県長の名誉にかけて言うが、炸裂はまだ貧乏この上ない。炸裂が本当に豊かになったら、お前の兄は県長の地位につくことができる。中国はまだ貧しいことこの上ないが、本当に豊かになったら、中国はアメリカ大統領の地位だって買うことができるのだぞ」

*8

 作中で孔明亮は狂ったように炸裂の巨大化と地位の向上を目指す。この巨大なものを無条件でありがたがる思想は作品を貫いている。例えば、前述した鉄道での事故死の際、彼はこう部下に命じる。

「一番いい棺桶と、一番大きくて、一番厚みのある紀念碑を買ってこい」*9

 そして、発展や巨大化に意義を唱えるものには激しい制裁が加えられる。さらに、その制裁は必ずしも公的になされるわけではないのだ。例えば、炸裂が直轄市になった際に異議を唱えた若者は、圧倒的多数の市民から顔につばを吐きかけられる。さらには、暴行を受けて、死者まで出る始末だ。そこでは誰のための発展なのか、という理屈が抜け落ちている。作中では、炸裂の発展に伴い、環境が悪化し、伝統文化が消滅していくさまも描写されている。

 作中で政治的な言葉の言い換え、あるいはダブルスピークのような語法が蔓延してることも指摘しておこう。例えば、鉄道での盗みのために死亡したものは、豊かになるために命を落とした「烈士」と表現される。また鉄道での盗みに関する以下の文章は言い換えとその効果の典型例である。

村長の孔明亮は、いかなる者にも「盗む」という言葉を口にすることを許さなかった。

(前略)人々は当初、自分で自分を欺くようで滑稽でばかばかしいと思っていたが、孔明料が毎月の月末に村人に給料を払うとき、「盗む」「賊」「かすめ取る」と言った言葉を口にした者の給料から本当に、百元、二百元、と天引きしていたとき、「窃盗」「泥棒」にかんする言葉は炸裂から消えた。毎日列車から盗みをしているという事実さえも、もはや誰も信じなくなっていた。

*10

 以上、述べてきたように炸裂では異常が正常であり、正常が異常*11なのである。そして我々はその状態と現実の中国が生き写しのように似ていることを想起する。例えば、失脚した政治家である周永康とその部下、一族の総資産はなんと一兆五千億円である*12。数億、数十億円で大きな政治問題になる日本とは桁が違う。あまりの腐敗ぶりに怒りの前に呆れや驚きを感じてしまう。実際、閻連科は現代中国について、こう述べている。

「現在の中国ではどんなことも起こり得る!」 

*13

 

 

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に続く

*1:朝日新聞』。

*2:大江もまた日中の領土問題に対する見解を発表していた。

*3:私もそれほど詳しくはないが、人民解放軍は文芸や芸能活動に熱心なようだ。コラム072 | 海上自衛隊幹部学校では軍に所属する文芸工作団が紹介されている。

*4:中国の政治スローガンである。

*5:『炸裂志』461頁及び462頁。

*6:『炸裂志』468頁。

*7:日本人には馴染みが薄いが、発展に伴い炸裂は以下のように行政区画の格を上げる。村→鎮→県→市→超級(直轄)市。最上級の直轄市北京市上海市重慶市天津市の四市だけである。敢えて、無理やり例えれば村が東京23区になるようなものだろう。また中国の行政区画は自治区などがあるため複雑で、この階層は一例にすぎないようだ

*8:『炸裂志』298及び299頁

*9:『炸裂志』37頁。

*10:『炸裂志』35頁。

*11:炸裂の大気汚染の描写はこの事態のまさに典型例である。工場のせいで、炸裂の空気は汚れ、臭い。だが、雨が降って匂いが流され綺麗になると、大気汚染に慣れた人々は病気になってしまうのだ。

*12:産経新聞

*13:『炸裂志』458頁。単行本『炸裂志』には『中国の作家から村上春樹への返信』が収録されており、この言葉はその中のものである。