ソガイ

批評と創作を行う永久機関

客注問題から、タワー積みについての雑感

このツイートが、いま話題になっている。 話題の『東京の生活史』ですが、当店には流通関係諸々の都合により10/1あたりに入荷予定です。なお、事前予約で5冊を取次(問屋)に頼んでいましたが、入荷するのは2冊のみで、ギリギリ客注分が確保できる数なので、店…

秋文フリ不参加のお知らせと、次号について。(近況報告あり)

11月23日に開催予定の第33回文学フリマ東京ですが、新刊がないこともあり、今回は出店を見送ります(矢馬については、他のサークルに作品を寄稿するかもしれません)。 来年春の新刊刊行を目標に、活動を続けていきます。まだほとんど動き出せていませんが、…

筆まかせ12(修正について)

8月9日 ようやく「ルックバック」を読んだ。 配信開始当日から、嫌でもその存在は知っていたのだが、ものすごく話題になっているものはすぐに手を出す気にならない、といういつもの悪い癖が出て、また、その後にいろいろとこの作品について語るツイートが氾…

フィルムパックについて感じたこと

4月の講談社文庫、講談社タイガの新刊から、フィルムパックが実施されることになった。この前、改めてその光景を書店で見てきた。やはり違和感は拭えなかった。少なくとも私はいまのところ、フィルムパックに包まれた本はいままでほど、「書店で気になったか…

筆まかせ11(あっという間に過ぎ去ってしまった「希望と喜び」の議論と、潮流からの訣別)

7月24日 実は、直木賞の選評を巡ってのごたごたについて思うことがあったので、それなりの分量を使って記事を書いていた、いやほぼ書き終わっていた。だが、いま公開するのはやめることにした。 SNS、ことTwitterは文字数のこともあってか、どうにもみな、簡…

新書というメディア

最近、ことあるごとに考えさせられていることがある。それは、本を読む人は、一冊の本を読み通すことをあまりにも簡単に考えすぎるきらいがないだろうか、ということだ。 私はここ数年ずっと「これからの出版」を私なりに考えている。無論、メディアがここま…

リツイートというパノプティコン

いま、自分の視座を確立するために、SNSからは適度に距離をとったほうがいいのではないか、と思いはじめている。 何度も言っているように、私は同人活動を通してオルタナティブな場を求めている。SNS、ひいてはネットも、登場時には多くの知識人が既存のメデ…

筆まかせ10

吉本隆明・蓮實重彥・清水徹・浅沼圭司『書物の現在』(書肆風の薔薇、1989年) 9人の連続講義「書物の現在」から4人の講義を文字に起こした講義録。 浅沼、清水が出版原理について、蓮實、吉本が雑誌製作の現場について話している。 やや古い本ではあるが、け…

第32回文学フリマ東京 で「ソガイ」第六号(テーマ・青春)を販売します。※試し読み有り

ブース番号はソ-13、隣接ブースは君嶋復活祭さんと本棚の陰 さんになります。開始時間の12時から終了の17時までブースを開いている予定なのでお好きな時にお越しください。ソガイの新刊のほかに既刊とソガイ〈封切〉叢書の出張版も数冊用意しております。 ソ…

筆まかせ9

いままでに何度も試みては失敗・挫折している読書ノートを、性懲りもなくもう一度始めてみようと思う。というのも、読書量が減っていることに少し危機感を覚え始めたからだ。時間がないといえばないのだが、だからといって皆無なわけではまったくなく、読書…

労働者であるための「表現」——川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』

労働というものを批判する言葉は、軽口のようなものから理論的なものに至るまで無数に見られる。正直なことを言えば、私だって働かなくてもいいものなら働きたくはない。労働の必要がなければ自由な時間が取れてもっといろいろなことができるのにな、と思う…

1年間の校閲の仕事から考える生活の知恵

出版社の校閲部で働き始めてから1年ちょっとが経った。どこかで話したことがあったような気がしないでもないのだが、私はこれでもいちおう日本エディタースクールが主催する校正技能検定上級に合格していて、人よりは多少誤字脱字に気付きやすい方なのかもし…

筆まかせ8

3月10日 2ヶ月に1本程度、〈封切〉叢書を刊行しようと思っていたのも今は昔。そもそも、2月の中頃からはまともに本も読めていない有様であり、ましてや本をつくるなどという気持ちにもならない。 いや、気持ち自体はあるのだけど、体がそれとちぐはぐで、盛…

漱石と子規の「硝子戸」

日本で「文豪」と言えば真っ先に名前が挙がるのは、おそらく夏目漱石だろう。もはや死語になっている感もある「国民作家」という呼称を与えることに特に異論は覚えない漱石だが、その作品は、現代の読者からすれば必ずしも読みやすいものではないと思うのは…

筆まかせ7

2021年1月13日 久しぶりに片頭痛に見舞われた。 私が片頭痛を発症したのはたしか高校2年生のときだった。大学受験に向けて勉強をしているなか、目を開けているのもつらい頭痛に、月に2、3回も襲われるのはきつかった覚えがある。高校2、3年生のとき、1年で10…

筆まかせ6

2021年1月4日 これまで何度も年をまたいできたわけなのだが、記憶にあるなかで今回が最も、年が変わったという意識が薄い。12月30日が12月31日になるように、12月31日から1月1日になるのを感じていた。 それはこの日に至るまで同じで、例年とは異なり、2日の…

個人的2020年の10作品(矢馬潤)

いろいろあった2020年、「ソガイ」としてはそれほど多くの活動ができたわけではない。5月に「ソガイ」の第五号を刊行、その後、7月に「ソガイ〈封切〉叢書」を勢いで開始し、先日第三号まで刊行することができた。現状、その執筆者は矢馬のみとなっているが…

「ドナルド・エヴァンズ展」鑑賞記

横田茂ギャラリーで開催中のドナルド・エヴァンズ展(2020年10月26日〜11月13日)に行ってきた。ゆりかもめ竹芝駅から徒歩3分という、アクセスも申し分のない立地だ。もっとも、私は盛大に道に迷ったせいで30分近く歩き回る羽目になったのだが。 ドナルド・…

本というもの——山中剛史『谷崎潤一郎と書物』「序にかえて」から

もしかしたらどこかで言っていたかもしれないが、私の学部、修士を通じての研究テーマは谷崎潤一郎だ。もともとは谷崎と芥川の、いわゆる「〈小説〉の筋」論争に興味をもったところから始まった。それは大学2年生くらいのことだったと思うが、当時の私は「小…

対症療法の次へ——ソガイ〈封切〉叢書第二号刊行に際し

ソガイ〈封切〉叢書第二号「埠頭警備人」をようやく刊行した。第一号から3カ月ほどかかってしまった。当初の計画では、せめて2カ月に一号は新刊を出すつもりだったのだが、先延ばし先延ばしにしているうちにこんなことになってしまった。 sogai.booth.pm そ…

筆まかせ5

最近、少し記事の更新が滞っている。別のところに寄稿する文章を書いていて、そのための調べ物もあったりしたことが主な要因なのだが、少し疲労があって、さらに文章を書くだけの余裕がなかったのも事実だ。ただ、それでも本自体は読んでいて、特に池内了『…

体の一部としての本—「本づくり学校修了展」製本ワークショップ体験記

8/22の土曜日。休日にもかかわらず、明らかにいつもより人通りの少ない浅草の町を歩き、浅草Book&Designにて8/22〜24に開催されている「本づくり学校修了展」、そこで行われている製本ワークショップに参加してきた。(http://misuzudo-b.com/news/291/ 2020…

男性作家/女性作家棚—エドゥアルド・ガレアーノ『日々の子どもたち——あるいは366篇の世界史』から

BOOTH以外の販路も開拓していく、と宣言してからだいぶ時間が経ってしまったが、ようやく1軒、書店に自分たちが作った本を置いてもらうことになった。 地元の小さな書店、向島の「書肆スーベニア」さん、こちらに「ソガイvol.5」を3冊置いてもらった。文学フ…

「了解」と「諒解」

「読売新聞」2020年3月28日の朝刊、その1面に、「国語力が危ない」と題された記事が掲載されていた。「エモい」などを巡る国語力の問題を多角的な視点から考察した記事になっている。 その内容については全体的に思うところもあるが、それを指摘していたらき…

「ソガイ〈封切〉叢書」開始について

「ソガイvol.5」の編集をしていたのは主に2月から3月のことであるが、計画を立て始めたのは年が明けるよりも前のことだ。当時、世の中がこのようになることは予想できなかった。ソガイはそれまで、個人的に直接手渡す以外では、文学フリマ東京での販売のみで…

ブックオフについて

地元に初めてブックオフができたのは、たしか小学校中学年くらいのときだったと記憶している。そこはもともとケンタッキーフライドチキンだったような記憶がかすかに残ってもいるが、母親に聞くと、そのテナントは不吉な場所だったらしく、かつて火事があっ…

筆まかせ4

6/13 ここはいちおう「書評・創作ブログ」と銘打っているのだが、「創作」はもともとそれほど多くなかったのでまだしも、最近、まともに「書評」記事をあげていないことが否めない。先月後半あたりから本格的に仕事が始まり、ここしばらくは、4月1日ぶりとな…

誤字を肯定する「内輪の空気」

この前の論考で、「いま同人誌を造るということ」について、本というものに着目し、藤森善貢や小尾俊人を横に置きながら考えた。そこで私は、広い意味での質にこだわった。ものとして残る本は、過去・現在・未来を繫ぐものであり、形として残る本というもの…

「時代遅れ」と言って切り捨てていては……

突然だが、私はどちらかと言えば機械音痴である。いや、けっこう、と言ったほうが正しいかもしれない。たとえば小学生のころ、授業の一環で、各グループに分かれて短い映像を撮ったことがある。そのとき、私はカメラに写らないところでラジカセを使って、BGM…

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第15回

www.sogai.net 第15回 当初の予定では、そろそろ終わっていてもおかしくはなかったのだ。それなのに、まだ半分もいっていない。もちろん、これは私の怠惰というほかないのだが、ペースが落ちていること、そしてモチベーションがいまいち上がらないことには、…